個性
individuality
私はどっちでも良いという言葉が大嫌いだ。
本当にどっちにしたいのか?
相手側を混乱させてしまう、あの言葉は
おそらく
日本人はよく使っていると思う。
せめて、私の周りは結構多い。
スタイルはもうすでに
自分のアイコンを表す手段でもあり、
人に思わせたい、自分の潜在的意識だと思う。
しかしよく間違っているのは
ファッションと、洋服の境界である。
日本の雑誌のほとんどは洋服が占めていると思う。
洋服は普段気軽に着られて、デザインに工夫がない服だと私は理解している。
しかし、ファッションは
さらなる上
もっと神聖な意味が込められている。
まず
1。デザイナの思い(テーマ)
クリエイティブcreative:新しいものを生み出す。
毎年フランスで今年の流行カーラーが決められ
デザイナーたちはそれにあわせてor独自でコレクションを準備する。
そして、そのinspirationは 筋肉組織 the muscular system
建物building ,ゴシップgossip, 原始的未来futurism,などなど
0からデザイナーの果てしない苦悩によって
ファッションは誕生する。
人気の有名デザイナーさんたちも1日平均1時間足らずの睡眠時間らしい。
お疲れ様です。
2。着こなしの哲学
ファッションの世界で失敗した着こなしは
殺人間のような扱いをされてしまう。
まずデザイナーさんに謝れ!という雰囲気がながれて、
有名なほど、悲惨にやられる。
ここの所は個人の好みの問題じゃないかと、私は思うが、
どうやら
みんなが納得する最高の着こなしもこの世には存在しているらしい。
どうかな。
3。runway = 神聖な場所なり
50年前だったら うん〜といわれるかも知れないが
今時の人ならば
一時代の流行が定められるこの場所は
文化歴史の始まりでもあり、何兆億ものお金が発生する経済資産の始まりであろう。
同時に服と呼ばれるものとやみ業界がコピーを準備する時期でもある。
大体受けがいいものは盗まれて、
qualityが高いものは、一般人にはtoo muchだと言われてしまう。
それって。。
べつに着こなせたらすばらしいのではないかな?
ファッションは
こういう所ではよく理解するのが難しい。
でも自分の可能性を広げてどんどんチャレンジするのも
ありかなと、思う。
決めつけるのは前へ進めない、そういう気がする。
変化は止められないけど
その変化に身を載せて、個性を出して心から自分らしく生きて行くならば
もっと素敵な人生を送れるんじゃないかなと、私は思う。
だから、わたしもいろいろチャレンジして
自分に似合うスタイルでガッコ良く生きていきたい。
人生は短いんだから!
イェイ!